いつか の あいだ

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当たり前 を考える

 

昨日

あなたの服がどう作られているか知っていますか?

インドネシアユニクロ製造工場の労働者からの告発~

という

講演に参加

 

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去年の11月

ピースボートを下船してからやめる決意をしたものが2つ

 

そのひとつが

ユニクロ製品を今後一切買わないということ

船内でエシカルファッションについて学んだことで

ファストファッションの労働事情には関心が高くなった

 

そんな中での

労働者の声が直接聞けるというこの講演

 

たまたま稽古が休みで

たまたま観劇の予定を入れたら

たまたまいい時間差で

向かいの会場でこの講演があることを知り

これはもう行くしかない!

となったのでした

 

平日にも関わらず

会場は立ち見が出るほどの超満員

早めに行って前から2列目に座れたわたしは

学生の如く2時間ペンを走らせてメモを取っていた

 

 

これから書く内容は

その場で語られた想いを

通訳さんのことばで表現し

それを聞いてメモを取ったもの

なので

抜けているところや

多少の聞き取りミス等があるかもしれません

あしからず

 

 

まず

元ジャバガーミンド社という

ファストファッションの生産委託工場で働いていた2人のお話

 

 

テディさん・男性

はじめのころ衣料産業は大きな雇用だった

この工場では

ナイキ、アディダスエスオーリバーなど

大手のブランドの服を作っていた

最低賃金だが生活はできるし働けて幸せだったそう

しかし

2012年にユニクロが参入してきて労働環境は一変する

 

ユニクロ

生産効率を上げるため新しい機械を買わせ工場は借金

短期契約、残業、長時間労働を強いる上に手当てはなし

生産計画は厳しく

2015年には5千人いた労働者全員が最低賃金以下になる

 

労働組合作りたいという申し出には反対されたが

2013年テディさんを筆頭に9人で組合を設立

しかし

会社側は組合員に対していきなり工場の移動を命じ

テディさんに至っては解雇を言い渡される

 

それでも

テディさんは組合長として抗議デモをするなど

様々な活動を続けてきた

そして

労働裁判所が違反と認め

ユニクロとジャバガーミンド社に改ざんを求めた

 

しかし

2014年2月

ガーミンド社の経営危機を新聞で知った労働者たちは

会社側に説明を求めるも

納得のいく回答はなく

 

2015年4月

会社は倒産

2千人の労働者には退職金などの補償もなく

路頭に迷うことになり

家賃が払えなくなった彼らは

工場を占拠し住み込みながら

デモや政府に働きかけをしてきた

 

現在

テディさんはひとり暮らし

妻と5人の子どもはバスで14時間かかる実家で生活をしている

 

彼は言った

日本人のみんなも一緒に考えてほしい

 

 

ワーニさん・女性

設立から倒産まで

1992年~2015年まで働いていた

9割が女性で

ユニクロが参入する前は満足のいく労働環境だった

 

出稼ぎで家族と離れて暮らしていた彼女

あるとき夫が倒れて病院に運ばれた

今すぐ仕事を休んで行かせてほしい

と願い出たが

ユニクロの生産計画に間に合わない

という理由で休むことはできず

結果看病もできず看取る家族もいないまま

夫は1人で死んでいった

涙ながらに話していた

 

彼女は2人の子ども抱えるシングルマザーになった

上の子を高校に行かせてやりたい

けれどユニクロのせいで仕事がなくなり学費が出せない

今上の子どもは親戚の家で暮らしている

こういう状況のひとは多いという

 

現在

彼女は46歳という年齢から

他の衣料工場での再就職ができず

日雇いの縫製の仕事をしている

仕事がある日とない日があり

日当は5万~よくて6万ルピア / 500円以下

到底食べては行けないので

夜は子どもと共にソーセージを屋台で売っている

17時~23時まで売って

1番売れた日でも3万ルピア / 300円以下

それでも十分な生活費にはならない

 

 

最後に彼女も

日本のみなさんも一緒に戦ってほしい

と言った

 

 

ここまでが

ユニクロの下請け工場で働いていた2人の話し

倒産してから3年経つ今も苦しい日々が続いている

ユニクロは倒産前に契約打ち切りをしていたそうで

正式な理由はわからないが

テディさんは

より労働賃金の安い地域との契約を結ぶため

ではないかと推測している

 

2人が働いていたジャバガーミンド社はタンゲランにあった

都市よりも地方の方が賃金が安い

インドネシア最低賃金は中央ジャワという場所で

そこに工場を移動させる会社が増えている

 

 

 

インドネシアで労働者支援のNGOをしているムチャマドさん

ユニクロはひとつの例にすぎない

と言った

自分の工場を持っていないブランドがほとんどで

同じ工場で様々なブランドが作られており

インドネシアでは約3000の工場が

170ほどのブランド品を生産している

そして

賃金は発注力による圧力で決まるのだという

 

2017年

インドネシア政府は新しい賃金政策を打ち出したが

衣料産業が1番賃金が安い

にも関わらず

70社が正規賃金の支払いを遅らせている

 

衣料工場の移動から

工場閉鎖による不当解雇が相次ぎ

2017年だけで

ジャカルタでは5300人

西ジャワでは3万人

しかし中央ジャワでは新しい人材が必要となっている

 

 

ブランドに責任を取らせることは難しい

という固定概念もある中

これまで

アディダス

ナイキ

インデックス(ZARAなど)

ミズノ

GAP etc..

様々なブランドに対して

責任を取らせたり未払い分の支払いを命じた

という成功例もある

 

東南アジアの他の国でも起きているこの問題

ユニクロに対して正義を求める

彼はことばを締めた

 

 

この講演などの活動を含めた日本ツアーを行うにあたり

ユニクロにメールで連絡を取っていた結果

今まで年に1,2通しか来なかった返信が

9月末から頻繁に

先週からはほぼ毎日連絡が来るようになり

日本で会いたいという連絡に対する返答は

 

今回の日本ツアー中には会えないが

11月にジャカルタで会うことができるので

三者委員会を含んだ会合をしましょう

というものだった

このやり取りがくり返された

 

しかし

去年7月にも同じく第三者委員会を含めた会合を行ったが

話にならなかったという

これは引き延ばし戦略なのではないかということ

 

そして

不当解雇による労働者問題に対して

一貫して責任はないという返事だったが

ついに変化が

しかし

責任はないがユニクロの別の下請け工場への再就職を斡旋する

というもの

それは違うという講義に対しては

理解したというに留まったそう

 

 

今回

このイベントを主催しているPOSSEという団体は

ユニクロの柳井社長から名誉毀損で訴える

という手紙が送られてきたという

 

 

この問題はユニクロだけでなく

様々なファストファッションで起こっている

例えば

made in Japanの服を日本で作る外国人

は時給300円という労働環境だそうだ

 

Clean Clothes Campaign

の活動に今後も注目したい

 

 

日々身につける服

あなたの服がどこでどのようにして

誰の犠牲の上で作られたものなのか

日常に溢れている当たり前を

ちょっと考えてみませんか?